sayako アラフォーからの愛し愛され人生

思考は選べる♡幸せになっていい♡

子育てがつらかった①

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sayakoです☻

 

恋愛や夫婦関係について、前回のブログでお話したように相当拗らせていた私ですが,

子育てに関してもうまくいっていませんでした。

 

子育てってこんなにも辛く、難しいものなのかと悩みが尽きませんでした。

特に長女とはぶつかることが多く、正直いってかわいいと思えませんでした。

かわいいと思えないことに罪悪感を持っていました。

 

私自身も下に弟がいるので、長女です。

私が自分に自信が持てなくて、他人にどう思われるのかを気にしすぎてしまうことや、

自分が本当は何がしたいのかが分からない人間になったのは、両親との関わりが大なり小なり関係していることは、心の勉強をしていく中でわかりました。

 

私は、喘息持ちの弟のお世話や家で内職もして、両親も近くにいない、夫は毎晩深夜帰宅で常にワンオペ育児をしていた母を困らせたくありませんでした。だから、自分のわがままや気持ちを吐き出すことをせず、ただおとなしく過ごす癖がついてしまったのだと思います。

「あれ買って~泣」「嫌だ~泣」

と駄々をこねられたことなんてないと母が後に言っていました。

父は常に緊張感があり、注意されるときも厳しく、声も大きかったので私にとって気軽に甘えられるような存在ではありませんでした。

そんな環境で育ったので、少しくらい嫌なことがあっても極力自分の中で我慢する癖がついてしまったように思います。

 

しかし、自分の産んだわが子(長女)は小さいころから気に入らないことがあるとすぐに怒る、拗ねる。そしてなかなか謝らない。自分が納得していなかったらますます謝らない、考えを曲げない。

私とは違うタイプなので理解できず度々ぶつかりました。

 

下の弟である長男は、長女とは違い少し言うとすぐに「ごめんなさい(´;ω;`)」を言う子だったので私の怒りが長引くことはなかったし、自然にかわいいと思えるんです。そうするとますます長女に対し素直にかわいいと思えない自分を最低な母親だと思いましたが、またぶつかりひどい言葉をぶつけてしまう、、、。

 

何度寝顔を見ながら、「ごめんね、こんなお母さんで。」と泣いたかわかりません。

 

そして私が子育てって本当に難しい物といった思い込みを自分に植え付けてしまったのが長女の不登校です。小学校3年生の夏休み前から何となく行き渋りが見られるようになり、夏休み後からは本格的に行かなくなりました。

本人に訳を聞いてもはっきりしたことは言わないし、学校に相談しても特にいじめや喧嘩はなさそうとのことでした。

 

当時は何が正解なのかが全く分からず、担任の先生に

「来てしまえば楽しく過ごせるので抱えてでも連れてきてください。」と言われ、連れて行こうとしましたが、頑なに嫌がり朝、私が近寄るのも嫌がるようになってしまい、、、。それなのに私が出かけようとすると「お母さん行かないで~。」と泣き出してしまう。

今、私は看護師として働いていますが、看護学校へは三十代後半で行き始めたため、ちょうどそのころは社会人看護学生だったんです。しかも、病院や施設の臨床実習中でした。

実習中はよっぽどのことがない限り、実習先や、学校、同じグループのメンバーに迷惑をかけてしまうので休むことができません。

元夫や自分の両親にも協力してもらいましたが、毎朝「学校、行かない。」と言い、説得しようとすると泣き出す長女を置いて実習に行くのがつらかったです。実習へ向かう道中、運転しながら私も涙がこみあげてきてしまいました。

 

実の母からも「あんたが忙しくしているせいじゃないか。」と言われ、図星のような気がしてその言葉が胸に突き刺さりました。

 

元夫にも相談はしていましたが、「まあ、本人が行かないって言ってるんなら仕方ないわな、、、。」と言われ、その時は「そうだけど、だからってこのままでいいわけない。」と思い反発していました。そして、ますます元夫に頼ることができなくなりました。 今思えば、この出来事を夫婦で手を取り合って乗り越えられた実感がなかったのも夫婦仲が冷めていった要因の一つかもしれません。

 

12月ぐらいになり実習が終わり、私が自由登校の期間に入ると私にも時間的な余裕ができ、行きかえり送り迎えで保健室には行ける日が出てきました。